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菱田 学先生(名古屋大学病態内科学講座腎臓内科学)からの留学便り~Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health (JHSPH)~
菱田 学先生(名古屋大学病態内科学講座腎臓内科学)からの留学便り~Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health (JHSPH)~
はじめに
名古屋大学病態内科学講座腎臓内科学の菱田学と申します。この度、留学記を寄稿する機会をいただき、日本腎臓学会、そして東京大学稲城先生にこの場を借りて感謝申し上げます。
ボルチモアについて
私は現在、Johns Hopkins Bloomberg School of Public Health (JHSPH)の松下邦洋准教授の下でポスドクとして疫学分野の研究を行っております。
大学はアメリカ東海岸のメリーランド州ボルチモア市にあります。ボルチモア市は南北戦争の舞台となり、国歌や星条旗の誕生にも大きく関わった歴史を持つ、アメリカで最も古い都市の一つです。古くから漁港として栄え、今もシーフードはとても美味しいです。名物は渡り蟹の身を団子状にして焼いたクラブケーキ(crab cake)です。またオールドベイという、ボルチモアで有名なスパイスをまぶしたsteamed crabをハンマーで叩いて食べるのも大変エキサイティングな経験です。どちらもエール系ビールがとてもよく合います。治安については残念ながら良好とは言えないようですが、地区による差が大きく、私が住んでいる郊外は緑の多いのどかな雰囲気です。アパートの敷地内でもリスやウサギ、鹿をときどき見かけます。大学周辺も日常的に身の危険を感じることはありませんが、日が落ちてから一人で小道を歩くことはしないなど、用心は忘れないよう心がけています。
留学の経緯
私は医学部卒業後、研修医カリキュラムを終え急性期病院で腎臓内科医として勤務しました。日々、急性腎障害や保存期腎不全の診療、透析治療に関わる中で、腎機能障害の進行を抑えることの重要性と、それを達成する難しさを強く感じるようになりました。日本国内に1000万人以上いるとされる慢性腎臓病患者の予後を改善するには、より包括的で予防的なアプローチが必要だと感じました。
名古屋大学大学院で臨床研究班に所属し、研究テーマの一つとして長時間透析に関わる機会を得られたことは、疫学を学ぶ必要性を実感する非常に貴重な機会でした。私が初めて臨床研究を学ばせて頂いた長時間透析の施設では、
通常4時間程度の血液透析治療の時間を6~8時間程度に伸ばし、患者に食事制限を課さないという治療方針でした。十分に栄養を摂取し、じっくりと透析治療を受けることで、透析患者にとって非常に大きな問題である低栄養と、透析中の血圧低下などに対応することを目指す治療です。その透析施設では患者のフィジカルアクティビティや治療満足度が高く、透析患者特有の肌の黒さが目立たない印象を受けました。また透析歴20年、30年という患者が珍しくないことにもとても驚かされました。食事をしっかり摂って、透析の治療時間を延長するという比較的シンプルな変更で予後が大きく変化する可能性があること学びました。同時に、こうした臨床現場での印象や感覚を科学的に評価するためには、患者背景の理解や、適切な解析を用いて客観的に仮説を検証する疫学的なアプローチが必要だと感じました。19世紀にイギリスでコレラ感染が流行した時、ジョン・スノウ医師が患者の発生地域から汚染水が原因であると仮説を立て、汚染された井戸を閉鎖することで流行の蔓延を断つことに成功しました。病態の解明や治療薬の開発などとは違った疫学的なアプローチが、時に非常に本質的で問題解決に直結する場面があることを伝えるこの有名なエピソードは、疫学を学ぶモチベーションを後押ししてくれるように感じます。
JHSPHについて
私が現在学ばせていただいているJHSPHは、世界最古の公衆衛生大学院であり、U.S. News & World Reportの格付けでは、2019年現在まで一度も陥落することなく全米1位を保っています。
Master of Public Health (MPH)コースは非常に人気が高く、世界中からモチベーションの高い学生が学びに来ます。ポスドクである私もMPHコースの講義を一部選択し、聴講することが可能で、研究の傍らEpidemiologyやBiostatisticsなどを学ぶことで研究デザインや統計解析を基礎からアドバンスまで学ぶことができます。
また疫学部門では、観察期間が30年を超えて現在も進行中のコホートデータであるARIC (The Atherosclerosis Risk in Communities) studyからすでに2000件以上の論文が発表されています。
ARICのデータを収集する施設の一つを訪問する機会を頂いたのですが、研究者の他に多くの職員が従事してデータ構築に尽力している体制に大変感銘を受けました。米国の研究組織の歴史の深さと規模の大きさに愕然としつつも、そのような環境で学ばせて頂けることを大変嬉しく感じ、日々精進しております。
研究について
私個人の研究については、まずは日本から持参した透析新規導入患者を対象としたデータ、Aichi cohort study of the prognosis in patients newly initiated into dialysis (AICOPP)を使用し、
腎機能が高度に低下した患者における尿蛋白と予後の関連を追求しています。またこの検討をもとに米国のデータも使用させていただける機会をいただき、より深い研究へ発展させるべく取り組んでいます。また同時に透析患者の閉塞性動脈硬化症と予後の関連についても研究を行っています。動脈の石灰化のある透析患者においてABI(ankle-brachial index)測定による予後予測を補う測定項目についての検討も行っています。松下先生のラボでは毎週メンバーで集まり、進捗を報告し討論を行います。統計学的に解析して詳細に解釈するだけでなく、全体像を俯瞰して捉えることの重要性も学ばせていただいています。学会や大学内での研究発表の機会も多く経験させていただき、充実しています。ラボのメンバーは皆とても親しみやすく過ごしやすいです。研究内容の他には、米国の医師の勤務形態、食文化、歴史、英語のスラングについても話す機会があり、日常会話がとても刺激的です。
最後に
私の研究留学は松下邦洋先生、名古屋大学の丸山彰一教授のご厚意なしには実現し得ませんでした。大変貴重な機会をいただけたことに深く感謝しております。
またボルチモアでの研究留学を理解し生活の苦楽を共にしてくれる妻子、日本からサポートしてくれる両親にも感謝しております。帰国までに可能な限り学び、少しでも多くのものを還元したいと思います。この留学記が、今後研究留学を御検討されている皆様にとって少しでも参考になれば大変嬉しく思います。
写真1. 松下先生との毎週のgroup meetingにて。左から四番目が松下先生、一番左が私。
写真2. Johns Hopkins Universityの一風景
写真3. Baltimore流の蟹料理。ハンマーで殻を割ってたどり着く蟹身の味は絶品。